ニコ生を始めたばかりの頃は、なかなか視聴者が集まらない。
放送枠数が5000以上も存在しており、リスナーの分散が著しくなっているのが現状だからだ。
もちろん、過激な内容の放送や、目立つようなコミュニティであれば話は変わる。
しかし、あくまでも「出会う」ことが目的であれば、基本的にそのようなことをする必要はない。
いずれにしろ、この過酷なニコ生戦線を生き抜くためには、『常連リスナー』の確保は最重要課題となる。
実際に生放送をしていれば、いつでもあなたの放送を見てくれる彼ら(彼女ら)は、とても心強い存在だということが痛いほどわかる。
初期のコミュニティの発展と展望は、常連リスナーにかかっていると言っても過言ではないのだ。
だが、そんなに難しく考える必要はない。
まずは、あなたの生放送に常駐してくれるリスナーの確保に努めよう。
誠意を持って良心的な放送を心がけていれば、自然に人は集まってくる。
定期的な放送をしていれば、あなたの人柄を好む常連リスナーは必ず付いてくれる。
彼ら(彼女ら)は生主にとって非常に頼もしい存在となり、コミュニティ人数を増加させるための重要な要因でもある。
そのため、常連リスナーを大切にしつつ、地道な努力で新規ユーザーの獲得を目指していこう。
当記事では、そんな「常連リスナーの重要性」についての知識を深めて頂くことが目的だ。
1.いつでも放送を見てくれる
基本的に常連リスナーは、時間が空いていれば放送に来てくれる。
そのため、ニコ生を始めたばかりで視聴者が少ない時期は、とても心強い存在になってくれるのだ。
俺はニコ生初心者のころ(今もそうだが。笑)にリスナーが少なく、そんな常連さんのコメントには何度も元気づけられた。
彼ら(彼女ら)には感謝の気持ちを忘れないようにし、放送の終わりには「ありがとうございました!また来てください!」と元気よくお礼を言おう。
2.生放送をルーチンワークにしてくれる
『ルーチンワーク』とは、人それぞれの日課を指す。
言い換えれば、一度喫煙するとまた吸ってしまうタバコのようなもので、その行為に依存しているということ。
常連リスナーは、あなたの生放送を日常生活の一部として見てくれている。
ニコ生のリスナーの多くは、「時間が空く ⇒ 好きな放送を見る」という行動がルーチンワーク化している。
そのため、一度常連リスナーになってもらえれば、なかなかその放送からは離れられなくなってしまうのだ。
3.放送を盛り上げてくれる
常連リスナーがコメントしてくれることによって、初見リスナーも放送に参加しやすくなる。
そのような反応があれば、放送の雰囲気が明るくなり、あなたの放送意欲も向上するだろう。
結果的に、リスナーにとって居心地の良い放送となり、新規リスナーの獲得へと繋がるのだ。
しかし、これはコテハンを推奨していない放送の場合に限る。
コテハン推奨放送の場合、初見リスナー獲得率は下がってしまうからだ。
詳しくは、『コテハンを推奨しない』(作成中)をご覧頂きたい。
4.放送を広めてくれる
常連リスナーの力は、放送を盛り上げてくれるだけではない。
あなたの放送の知名度を高めるという、重要な役割も持っているのだ。
彼ら(彼女ら)の背後には、独自のネットワークが存在している。
それは、人間なら誰しもが持っているそれぞれの人脈のこと。
放送を「面白い!」、「人に教えたい!」などと感じてもらえれば、その膨大なネットワークの力で放送を広めてくれる。
もちろん、これは常連リスナーに限ったことではない。
初見リスナーも、放送を広めてくれる可能性はある。
しかし、常連リスナーのほうが生主との距離が近いため、多くの人に広告してくれる可能性が高いということだ。
今や『Twitter』を始めとするソーシャルネットワークが、最新の情報を得るための主な手段となっている。
人のクチコミによる情報の加速力はもの凄く、魅力的なコンテンツがあれば爆発的に広がっていく。
そのような人たちにクチコミしてもらえる放送になるよう、日頃から情報収集は欠かさないようにしておこう。
5.常連リスナーは囲い厨へと進化する
『囲い厨』とは、生主を独占しようとするリスナーを指す。
彼ら(彼女ら)は非常に独占欲が強く、囲っている生主の放送を妨害する人を攻撃したり、囲い主の不利益になるような放送の邪魔をしようとする。
言ってみれば荒らしのようなものだが、“愛主心”があるぶんまだマシだろう。
囲い厨はマイナスのイメージが強いが、あなたが囲われると非常に頼もしい味方となる。
たとえば、以前こんなことがあった。
とある生主Nが、ある放送を妨害しようとした。
そのためにNは自らの囲い厨に指示を出し、一気にターゲットの放送に流し込んだ。
すると、その放送への来場者数やコメント数は跳ね上がったが、それ以上に誹謗中傷コメントが爆発的に増えてしまったのだ。
その生主は、ハンドルネームをとある戦国武将の名前にしていたことから、囲い厨は「足軽」と呼ばれていた。
上記は、囲い厨に支持されていた生主が、モラルを欠いていたために起こった事例。
この場合、俺は生主は『教祖』、囲い厨は『信者』だと位置づけしている。
一種の宗教のようなものであり、「生主を信仰している」とも言えるからだ。
これは決して大げさな表現ではなく、それだけ『囲い厨』は生主と深い繋がりを持つとともに、利用価値がある存在だということである。
当ブログを見て下さっているあなたは、囲い厨を利用する場合でも、モラルを持つよう心がけてほしい。
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