
読者投稿28歳の女性
私は大学のときから、出会い系サイトで援交をやっていた。理由はもちろんお金が欲しいから。
入学して半年ほど経って、同じ大学の男にコクられて付き合うようになったけど、それでも出会い系はやめなかった。
OLになってもそれは変わらなかった。月20万円の給料では優雅な生活はできないからだ。
夫とは会社で知り合い、2年前に結婚したけど子供はいない。
結婚前に同棲していたので、子供がいなければ同棲と何も変わらなかった。
薔薇色の結婚生活を夢見ていたのに、何かが違うと思い始めた私は、結婚と同時にやめていた出会い系をまたやるようになった。
夫に不満があるわけではない。だけど、心の中の空虚な穴を埋めるには、出会い系が一番手っ取り早い方法に思えた。
新婚ムードでいられるんだから、ものは考えようですよ
何人かとメールをやり取りした中で、会うことに決めたのは某有名企業の課長と名乗る山田という男だった。
会ってみると、山田は背が高くてちょっとした男前だった。
気さくで人当たりが良く、仕事もできそうなタイプだ。会話もテンポが良くて面白いので、私はすぐに彼のことが気に入った。
「そうか、子供がいないんだ」
山田は私の悩み事も聞いてくれた。相談したところで何も解決しないけど、なぜか彼に話すだけで心のモヤモヤが消えていく。
「でもね、その分ずっと新婚ムードでいられるんだから、ものは考えようですよ。私なんか、できちゃった婚だったから、すぐ子育てに追われて新婚気分も味わえなかった」
山田は優しくフォローすることも忘れなかった。
山田はセックスも上手で、彼に抱かれると必ずイクことができた。というより、私がイクまで突きまくってくる。
今年40歳になる彼は、まさに男盛りだった。スタミナのない夫ではこうはいかない。私は少しずつ山田の魅力にのめり込んでいた。
山田は耳が私の性感帯だとわかると、いつもそこを責めてきた。
くすぐったさと快感で、耳たぶを舐められると頭の芯までボーッとしてくる。
さらに、乳首を吸われるともう我慢できなかった。胸も私の弱点だった。
山田はそれも見抜いていて、耳の後は胸への愛撫をしつこく繰り返す。
おかげで私は、いつも挿入される前に2、3度イカされていた。
「ずいぶん感度がいいんだね」
山田の低い声が耳に響く。
「やだ、言わないで」
私はそう言われるたびに身をよじっていた。
山田はクンニも上手だった。彼に舐められると、どうしようもないほど気持ち良くなってしまう。私はいつも彼の肩をつかんで喘いでいた。
挿入される頃には半分意識が飛んでいた。ぐったりした私の中に山田が入ってくる。根元まで挿入されると、体が硬直してまたイってしまう。
こうして私は、山田が果てるまでに何度もイカされた。
顔が険しいのは事故のせいだけではない
山田と会うのはいつもラブホテルだった。
その日も、町外れにあるラブホテルに向かっていた。
繁華街を過ぎて幹線道路を右折すると、道路は二車線から一車線に変わる。山田は右にウインカーを出して、交差点で一旦停止した。
前方からミニバンが直進してくるのが見える。
私はすぐにミニバンの様子がおかしいことに気づいた。少し左右にふらついていたからだ。運転手の男を見ると、顔が完全に下を向いている。
(居眠り運転だ!)
「あっ」と叫んで山田がギアをバックに入れた瞬間、センターラインを超えたミニバンが、目の前に吸い寄せられるように迫ってきた。
気がついたら病院の手術台の上だった。反対側のベッドでは山田がぐったりしている。
「名前を言ってください」
医師の質問に、山田が弱々しい声で答える。
私の意識が戻ったのがわかると、看護師が医師を呼んだ。山田のそばにいた医師が何かを指示して、周りの看護師がいっせいに動き出す。
1人の看護師が、私が穿いていたジーパンをハサミで切り始めた。山田もズボンを切られている。
ブラウスにも両側からハサミを入れ、ブラジャーも切られて全裸にされた。看護師が血のついたブラウスを丸めて捨てている。それを見て、初めて怪我しているのだとわかった。
別の医師に酸素吸入器のようなものを口に当てられると、また意識がなくなった。
次に目が覚めたときは病室にいた。夫と隣町に住んでいる私の兄の顔が見えた。
急を聞いて両親が駆けつけたのは、その日の夜だった。運転していた山田のことを聞かれたが、「仕事関係の人」と答えるしかなかった。
たぶん山田も同じことを聞かれただろう。彼と私の発言が食い違うのは当然のことだった。
夕方、山田の妻と名乗る女がやってきた。顔が険しいのは事故のせいだけではない。
夫と兄も山田の病室に行ってきたようだ。2人が帰ってくると、空気が重くなった。夫も兄も私とは口をきかず、目も合わせようとしない。
最初は私の姿を見て涙を流していた両親も、兄に別室に呼ばれて戻ってくると、表情が変わっていた。
翌日から、夫と義父母が見舞いに来ることはなかった。
半月経って外泊が許可されたときも、私は夫の家ではなく、兄のマンションに連れて行かれた。
「どういう事か分かるよな」
兄の口調は厳しかった。
退院後、私は実家の両親のもとに身を寄せることになった。高校まで使っていた部屋に、大きなダンボール箱が無造作に積んであるのを見て、私は初めて涙を流した。
夫が送りつけてきたダンボール箱の中には、私の洋服や化粧品が生ゴミと一緒に投げ込まれていた。そこに夫の怒りが凝縮されているような気がした。
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