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もうダメだと思ったときに読むべき記事 「不自由なセールスマン」

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もうダメだと思ったときに読むべき記事 「不自由なセールスマン」

【EGweb】運営者江川

 ある人物が、『きっと「イエス」と言ってもらえる』という本を書いた。

 著者はアメリカのトップセールスマンであるビル・ポーターの助手であり、彼のセールスの秘訣がギュッと詰まっている。

 やり手のセールスマンのノウハウを書いた本なら決して珍しくはない。

 これが特徴的なのは、ビル・ポーターが脳性まひのために手足が不自由で、言葉をうまく話せないことにある。

ビル・ポーター Profile


写真
職業
セールスマン
出生年
1932年
出身地
アメリカ

脳性まひにより、言葉が不自由なトップセールスマン


▼ ビルは1932年にアメリカで先天性脳性まひの子として生まれる。
『先天性脳性まひ』
運動や姿勢に影響を与える一連の状態を指す。
運動を司る脳の一部分またはそれ以上が損傷すると、人は筋肉を正常に動かすことができなくなる。
 彼が生まれるとセールスマンだった父親は、仕事を辞めて障害児施設で働き始めた。
 母親は税理士だったが、彼女もまたビルを懸命に介護や訓練をし、夫婦は我が子の障害と真正面から向き合った。

 やがて養護学校を卒業したビルは、一般の高校に入学することができた。
 普通は、障害児が通常の高校に進学することは困難である。
 しかし、各方面に働きかけた夫妻の努力が実を結んだのだ。

とある一枚のメモ


 この頃から、ビルは「あきらめなければ道は開ける」と書かれたメモを、常にポケットに入れて大切に持ち歩いていた。
 それは、障害を言い訳にして歩みを止めることのないように、両親が持たせてくれたものである。

 高校を卒業したビルは庭師の仕事を始めたが、芝刈りなどの作業がうまくできない。
 そのため収入は雀の涙ほどしかなく、とても生活していけるものではなかった。

 そこで、障害者に家庭用品を売るセールスの仕事に転職した。
 生来の才能を発揮したビルは、支部の営業成績トップにまで上り詰める。

 しかし、それもつかの間だった。
 その頃から売れ行きは頭打ちになり、それをきっかけに徐々に売上も下がっていく。
 なべやフライパンなどの日用品は、一度買ったらそれほど買い換えないからだ。
 もちろん営業成績も落ち込む、ビルの気持ちもだんだん沈んでいった。

 その頃、父親が体を悪くしていたこともあり、ビルはもっと稼ぐために求人広告を見て必死に売り込みを開始した。
 だが言葉が不自由だったため、ほとんどの会社からは冷たい反応を返されるだけ。
 結果、不採用の通知を受ける日々が続いた。

 セールスマンにとって言葉は命である。
 ビルが戦力にならないと見た会社側としては、当然の判断と言えるだろう。

 結局セールスの仕事は諦め、倉庫係やレジ係、電話番などの様々な仕事に就いた。
 しかし、ミスが多くて次から次へとクビになってしまう。
 
「自分にはセールスの仕事が向いている」

 そう思ったビルは、決意を新たに訪問販売会社の門を叩いた。
 熱意が認められて採用されるも、最低の営業エリアに回され、しかも試験採用という形で雇われる。
その地区は、九龍城砦のようなスラム街同然の治安の悪いエリアである。
『九龍城砦』(きゅうりょうじょうさい)
現在の香港、九龍の九龍城地区に造られた城塞。
またはその跡地に建てられていた、巨大なスラム街を指す。
 昼間はほとんどの人が働きに出ていて、留守の家が多かった。
 
 それでも彼は歩き続け、人の出入りを粘り強く待って商談にこぎつける。

ある信念


 しかし、彼の話に耳を貸す人は1人もいなかった。

不自由な身体で歩いた距離は、実に15km以上に及んだ日もあった。
 吹き荒れる暴風の中、冷たい雨の中、白熱の太陽が容赦なく照らす中、彼はただ歩き続ける。

「次の家ではイエスと言ってくれる」をモットーに、ひたすら歩き続けた。

 そんな努力は少しずつ実を結び、だんだん商品が売れるようになってきた。
 実は彼は記憶力が抜群で、「どの客が何をいつ買ってくれるか」が、すべて頭の中にインプットされているのだ。

 ただ商品を売るだけではなく、客の身の回りに何らかのトラブルがあれば、親身になってサポートした。
 ビルのセールス方法は、とても効率的と言えるものではない。

 だが客を大切にする彼の売り方は、人の心に強く響いたのだ。

返り咲き


 努力を続けているうちに、彼はいつの間にか商品がまったく売れない最低営業エリアで、成績トップのセールスマンになっていた。

 その評価に甘んじることなく、どんなときでも彼は休まなかった。
 セールスの仕事に就いた14年間で、休んだのは2日だけというから驚きである。

 ある日、道で激しく転倒してしまい血まみれになったビルを、顧客が車で病院に運んでくれたことがあった。 
 治療は7針縫って終わり、「家まで送りますよ」と客は言う。

 しかし、ビルは「ありがとう。でも私にはまだ仕事が残っています。私が担当している地区へ送ってもらえませんか?」と頼み込んでセールスを続けたという。

 不運にも交通事故に遭ってしまったこともあった。
 そんなときは、病院でもできる電話セールスで商品を売り込んだ。

 彼の仕事にかける情熱は、人一倍、いや人百倍と言っても過言ではないだろう。
 仕事をせずとも、障害者手当をもらえば最低限の生活はできた。

 しかし、それに頼ってしまうと自分自身を許せなくなる。
 彼には両親から骨身に叩き込まれた、ある教えがあったのである。

「人は誰でも、自分の能力を信じ、一生懸命に努力しなければならない」

 ビルはその教えのもと、自身の強い信念を持ち続けたのだ。

最後に

「雨の日は大好きですね。家に人がいることが多いから、絶好のセールス日和なんです」

 ビルはこう言っている。

 障害のために身支度に時間がかかる彼は、雨の日は大変おっくうなはずである。

 しかし、彼はそんなことは考えていない。
 常に前向きの姿勢を持っているのだ。

 そんな彼を見ていると、「○○だからダメ」という思い込みがとても恥ずかしく感じられる。

4.5 rating

この記事の著者

職業:R-18ブロガー【EGweb】運営者江川
『役に立つ記事の提供』がモットーのR-18案件専門ブロガー。
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