EGweb.TV

“女を求めるは男の本能”
欲望を追求し続ける男性向けWebマガジン。
マルチなR-18ネタを年中無休でお届けしています。

ススキノ性風俗史

オススメ特集記事

【調査報告】“イマドキJD”と簡単に出会う方法が判明wwwww
“イマドキJD”と簡単に出会う方法とは!?(バナー)
【EGweb】有料サービス
ススキノ性風俗史

【出典:すすきの風俗ソープランドウェブ】

執筆者50代前半の男性

 明治4年(1871年)、政府から札幌開拓の全権を任された岩村通俊は難題を抱えていた。
 土木作業を行うのは男ばかり、そのために喧嘩騒ぎは日常茶飯事、小金を稼ぐとすぐ故郷に逃げ帰ってしまい、遅々として開拓が進まないのだ。
 悩んだ末、岩村は明治政府に「公営の遊郭を作りたい」と願い出る。
『男を落ち着かせ、繋ぎ止めるものは女しかない』と考えたわけだ。
 ほどなくして政府の許可が下り、札幌市中央区南4~5条、西3~4丁目の区画を遊郭と定めて土塁で仕切り、大門を立てて「薄野遊郭」と呼んだ。
 これが現在の「ススキノ」の原型となっている。

 翌年、遊女屋「東京楼」が開業し、東京から遊女や芸妓など、20名余りが派遣されてきた。
 この際に、宿舎から遊郭までの道をきらびやかな衣装で練り歩いたのが、今もススキノ祭りのイベントに残る「花魁道中」の始まりとされている。

 ただし、元来「花魁」とは高級遊女を指す呼称であり、階級があった。
 最上位は大名や豪商などにしか手を出せない、ある意味では高貴な存在だった。
 薄野遊郭は、酷寒の荒野で開拓に携わる土木作業員を相手にする仕事である。
 おそらく札幌に派遣されてきたのは、最下層の遊女たちだったのだろう。
 そこには悲惨な末路を辿った遊女がいたことも想像に難くないが、これらは調査の上で改めて書くことにしたい。

 少し話はそれるが、なぜ遊女を「花魁(おいらん)」と呼ぶようになったのだろうか。
 諸説あるのだが、古典落語の中にはこんな話が出てくる。

「狐や狸は尾で人を化かすが、遊女は手練手管で男を化かすから、尾はイラナイ。だから尾いらん=おいらんとなった」

 それじゃあタダの駄洒落じゃないかと突っ込まれそうだが、実はこれにちなんだ名前が札幌にもある。
 そう、現在でも札幌有数のアーケード街である「狸小路」だ。

 薄野遊郭の女が政府公認の公娼だったのに対し、このあたりには一時的に100名を越える個人営業の私娼(立ちんぼ)が出没したらしい。
 通りかかる男を言葉巧みに誘惑し、なけなしの金を奪うテクニックは狸より上手いと噂されるようになったのが、「狸小路」の由来とされている。

 今でもたまに、「狸小路には援助交際希望の女が出没する」なんて話を聞いたりするが、それは古来より受け継がれてきた名残なのかもしれない。

拝啓 風俗店・ライト風俗店経営者様へ
風俗系店舗様の「記事広告」募集中(ピンク)

コメントする(承認制です)

*

Facebookでコメントする

Return Top