「あんなに青春ドラマに出てきそうな娘は、今まで会ったことがなかったな」
俺の高校時代からの親友のJは、元カノのさおりのことを今でもこう語っている。
付き合っている最初の頃は、彼女が心に抱えているいくつもの闇に気付くことはなかったという。
そう言うJの口からは、生々しいほどの壮絶な体験が語られたのだった。
本レポートは、Jとさおりの関係を、インタビューを通じて描いたものである。
いったい2人の間には何が起こったのか、それはレポートを読み進めていくにつれて徐々に明らかになるだろう。
WANTED
- 写真
- 事情によりNG
- 出身高校
- 青森県内の高校(詳細はNG)
- 名前
- さおり(仮名)
- 年齢
- 17歳(現在は23歳)
- 地域
- 青森(現在はK県)
- 身長
- 148cm
- 活動エリア
- K県近辺
さおりとの出会い
「あの!Jさんのピアノ凄く良かったです」
この言葉は、Jとさおりを深く繋げるきっかけとなった一言だった。
彼が見た彼女の第一印象は、元気一杯の普通の女子高生だったはずである。
Jが初めてさおりと出会ったのは、受験も間近に迫った高校3年生の夏だった。
当時の彼は音楽教室に通っており、忙しい受験勉強の合間に、趣味の活動に精を出していた。
彼の楽器はピアノ、幼少時代のある日に両親と行ったコンサートで、指先で美しい旋律を自在に奏でるピアニストに憧れたのが、Jにその鍵盤楽器を弾かせることになったきっかけであった。
受験勉強のプレッシャーから逃れるかのように、彼は指で曲を弾く遊戯に没頭していった。
ある日、Jは音楽教室の講師から「ピアノのコンクールに出ないか」と持ちかけられた。
自分の演奏技術を様々な人に見てもらえる貴重な機会でもある、Jはすぐさま首を縦に振った。
コンクール当日、Jは緊張で固くなっている自分を痛いほどに感じていた。
が、それも舞台の上に置かれたピアノチェアに座ってからは、余計な心配だったと気付かされる。
家で練習しているときのように、彼はピアノに指を滑らせ、自分なりに感覚を掴んでいった。
「自分の演奏が、知らない人の耳に入り込んでいく」
白と黒の鍵盤に指を走らせながら、Jはそう感じていた。
高校生の感受性の豊かさからか、彼は自分の音が観客の心を満たしているという感覚に酔いしれた。
演奏は無事に終えることができ、担当講師からの「初めてにしては上出来だよ」という言葉は、彼をピアノにさらにのめり込ませるに至った。
3度目のコンクール、Jはいつものように演奏をこなす。
それが終わったあと、機材の片付けを手伝い、身支度を終えて帰宅しようとしたときだった。
帰り際、1人の少女に冒頭の言葉をかけられた。
「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいよ」
Jは照れながらそう答えた、モヤモヤとした不思議な気持ちが彼の心を包み込んだ。
?「私の名前はさおりって言います!○○高校の2年生です!あの、私はベースやってるんです!音楽のジャンルは違いますけど、良かったら色々お話ししたいなと思って」
彼女も同様、いくばくかの緊張を見せながらそう続けた。
初めて出会う男女特有の空気を感じながら、その場で2人は他愛もない話に花を咲かせた。
さおり「あの…良かったらアドレス教えてもらえませんか?」
その言葉をきっかけに、彼らは急速に仲を深めていった。
このまま2人が男女の関係になっていくのは、ごく自然な流れと言えるだろう。
つかの間の幸せ
デートは、高校生らしい年相応のものが多かった。
カラオケに行ったり、買い物をしたり、マックで一緒に勉強したり、ただ路上のベンチにボーッと座っていることもあった。
当時の2人にとってデートの内容とは、ほとんど飾りと言ってもいいのかもしれない。
それは、つまるところ彼らが「一緒にいられる」という1つの理由に過ぎないのだ。
高校生の恋愛というのはそういうものだろう、お互いに同じ空間を共有するという至福の時間、それだけで心は満たされていく。
青森の心霊スポット「ホワイトハウス」に行ったときもあった。
さおりは怖いものは大嫌いだったが、拒まなかった。
そういう場所も、彼らにとっては十分なデートスポットになり得たのである。
目的地に到着し、廃墟の前に立つと、異様な雰囲気が2人を襲った。
「怖いからくっつきたい…」
それも2人にとっては、距離をさらに近づけるためには好都合だった。
Jはさおりの体温を背中に感じながら、廃墟探索にいそしんだ。
青森市の海沿いにある公園、夜はそこで親の目を盗んでデートすることが定番となっていた。
北国に近い青森の夜は、真夏でも比較的涼しい。
そのうえ海の近くとなれば、潮風が肌を刺すように寒い。
「手つないでもいい?」
左腕を気にしながら、さおりがポツリと言う。
断る理由は見当たらない、Jも同じ気持ちに違いなかった。
「いいよ」
そう言って握ったさおりの手は温かく、そしてとても小さかった。
この手をずっと握っていたい、Jは高校生ながら強く感じたのだった。
しかしこのとき、まだ2人は厳密には恋人関係にはなっていなかった。
彼氏彼女の関係以前の、お互いについて知るための期間だったのである。
付き合い始めたきっかけは、Jが高校を卒業して東京の大学に進学するときだった。
「遠距離でもいいので、付き合ってくれませんか?」
この一言が、青森と東京の長い距離を埋めてくれたのだ。
兆候
Jが嫌な予感に襲われたのは、半年ぶりに青森に帰省したときのことである。
さおりと付き合ってから2ヶ月が経過した頃だった。
彼は大学1年生、彼女は高校2年生になっていた。
「今ちょっと苦しいから、会ってもらえない?」
実家でくつろいでいると、突然さおりの方から電話がかかってきた。
Jがこんな言い方で誘われるのは初めてだった。
しかし、「ちょっと苦しい」という言葉は、彼の中では心当たりがあったのだ。
さおりは、高校2年生の半ばに鬱を発症していた。
学校も最初の頃は登校していたが、それも次第に休みがちになり、今では家で引きこもる日々が続いているという。
学校で「嫌なこと」があったのだと彼女は言う、理由は詳しくは聞かなかった。
「理由を聞いたとしても、俺にはどうすることもできない」
Jはそのことを十分に知っていたからだ。
高校での「嫌なこと」に対して、たとえ彼氏だとしても深く首を突っ込むことはできない。
本人を取り囲む問題は、根本的なことは当事者にしかわからないからだ。
(女子高生だからこそ、精神状態も不安定なんだろう)Jは深く考えることはしなかった。
だがその代わり、さおりの話は電話口でいくらでも聞いてあげた。
学校のこと、悩み、愚痴など、少しでも彼女の心を楽にしてあげたいと思ったからだ。
それがストレスのはけ口になれば良い、これは彼氏として当然の責務だと考えていた。
「ありがとう、Jがいてくれて良かった」
話の最後には、その言葉で締めくくられることが多かった。
これだけで心のケアができるなら簡単な話だ、と彼は思った。
だが、その甲斐もむなしく、彼女の精神は深い闇へと堕ちていったことを、Jは思い知らされることになる。
「苦しい、どうしても会いたい。うちにきて」
続けざまにそう言われたとき、そんなJの回想は打ち消され、現実世界へと引き戻された。
「わかった、すぐ行く」
その頃にはJはさおりの良き彼氏として、彼女の両親とも密に連絡を取り合うような、家族公認の仲になっていた。
さおりの家には何度か行ったことがあるし、そして訪問することに対しての抵抗もなかった。
その日の夜は、偶然にも彼女の両親は不在らしかった。
Kは期待に胸が高まるとともに、よくわからない不安も、心の隅に張り付いたままだった。
発症
バイクでさおりの家に着くと、彼女が廊下に「立って」いた。
彼氏を待っていた、という自然な姿のそれではなかった。
Jがそう感じたのは、彼女の雰囲気にある種の違和感があったからだ。
そう思っていた矢先、さおりはニッコリと笑って言った。
「いらっしゃい、待ってたよ」
「遅くなってゴメンな」
杞憂か、Jは心の底から安堵する。
その瞬間だった。
笑いながら、さおりが懐からカッターを取り出したのだ。
「見て…」
彼女の左腕には、ある時期からリストバンドが巻かれるようになった。
Jはさおりの少しの変化に気付いていたが、それに関してはファッションの一種だと思っていたのだ。
彼女は廊下で、おもむろにそれを取り外す。
そこには、おびただしいほどの無数の切り傷が刻まれていた。
彼女の左手首は傷口が重なり合って盛り上がり、本来のそれとは無惨にもかけ離れたものになっていた。
(最悪だ…)
かすかに浮かんだJの予感が、現実となって重くのしかかる。
さおりは欝を煩いながら、いつの間にか「リストカッター」にもなっていたのだ。
Jが呆然としているのを尻目に、彼女は突如として豹変する。
手にしたカッターを傷口に当て、そのまま目の前で何度も左手首を切り刻み始めた。
古い傷口がパックリ開いて血が流れる、さらにその傷は刃によって滅茶滅茶にされていく。
まだ傷をつけていない白い肌は、彼女が手を振り下ろすたびに新たな赤い線を描いた。
無数の蛇腹状の切り傷は、彼女が心に負ったダメージをそのまま反映しているかのようだった。
「何してんだよ…」
Jは立ちすくむ、口からその言葉を絞り出すのが精一杯だった。
頭は真っ白になっていた、もともと彼は血が大の苦手であり、恐怖のあまり体を動かすこともできなかった。
「止めないで」
さおりは低く呟き、こう続けた。
「私にとってリストカットを止められるってことは、死ねと言われているようなものなの。だから止めないで」
こう言われてしまっては、いったいどうすれば良かったのだろうか。
力づくで止めたとしても、今のさおりは本当に何をするかわからなかった。
(どうしたらいい!?)
Jは心の中で必死に考えた。
だが、解決策は何も思い浮かばない。
そうしているうちにも、さおりは現在進行形で新しい傷を作っていく。
何時間経ったのかわからない、いや、実際には数分という短い時間だろう。
ようやく、彼女の自傷行為が終わった。
「ゴメンね、心配かけて」
リストカットを終えたさおりは、心なしかすっきりした表情をしていた。
顔色は温かみを取り戻し、もう本来の彼女に戻っているかのようだった。
「さあ、入ってよ」
まだ身動きができないJに対して、さおりはいつもの声でそう言った。
まるでさっきの奇行が何事もなかったかのように振る舞う彼女に、彼は心の底から恐怖を覚えたという。
結局その夜は、彼女の口からリストカットについて触れられることはなかった。
「私がこんなんでも、Jには笑っててほしいな」
別れ際にさおりが口にした言葉は、とても色々なことを考えさせられたのだった。
苦悩
衝撃的な出来事から数週間後、Jは東京に帰ってきていた。
さおりにはできるだけ刺激をしないこと、常にそれだけを心がけた。
自宅に戻ってきたとき、真っ先に彼女の母親に連絡を取ることも忘れなかった。
「さおりはどうしちゃったんですか?鬱になったことは以前に聞きましたが…」
「さおりは、鬱になっているときにリストカットを始めたのよ。その後に一度病院に行ったら、パニック障害とも診断されたの」▼
さおりの精神状態は、Jが知らない間に最悪な方向へ進んでいた。
欝が引き金となったのか、彼女は複数の精神病を発症していたのだ。
「最近また激しくなっちゃって…今は私のほうも病みそうなのよ」
あんな光景を日常的に目にするのであれば、誰でもおかしくなるだろう。
だが、Jにはそんな状況を打破する解決策など、何一つ思い浮かばなかった。
大学で充実した生活を送る一方で、気の重くなる電話を受けることが増えた。
1つは、「切っちゃった…どうしよう」という、リスカをしたことを報告するさおりの電話。
もう1つは、「もう疲れちゃった、心中したい…」という、精神がすり減っていく母親の嘆きの電話だ。
Jは、何もできない自分が歯がゆくてしょうがなかった。
しかし、19歳の青年にとって、この事実を背負うにはあまりに重すぎる。
一歩間違えば、彼自身も精神が壊れていたかもしれないのだから。
その後
Jの家に遊びにきていた俺は、差し出されたアイスコーヒーを飲みながら、話をじっくりと聞いていた。
ふと、疑問に思ったことをぶつけてみた。
江川「そう言えば、さおりちゃんと別れるときはどうしたのさ?」
J「それがさ、さおりの方から別れたいって言ってきた」
これはかなり意外だった。
そういった精神病を抱える、いわゆるメンヘラと呼ばれる女の子たち。▼
彼女らは、「絶対別れたくない」「そう言うなら死んでやる」などと、彼氏が持ち出す別れ話に対して、文字通り『必死』で反抗するというイメージを持っていたからだ。
「案外あっさりしてたな」Jは昔を思い出しながら、そうも付け加えた。
「具体的には、どう別れたのよ?」
J「さおりはバンドが好きだったんだよ。特に○○が好きでさ、追っかけみたいなもん。そう言うのってバンギャって言うんだよな。とにかくさ、ライブがあるたびに東京の俺んちに遊びに来てた」▼
「ほうほう、それでそれで?」
J「何回目かのバンドだか忘れたけどさ。○○のライブの後に駅まで送って、その別れ際にフられた」
「マジか、あっさりってか、唐突にって感じだな」
J「今思えば、なんかそんな感じはしてた。でも、駅で話があるって言われたときは、なんだろうくらいにしか思わなかったわけよ。そんときはかなり鈍感だったからな(笑)」
「今もさおりちゃんとは連絡取ってるの?」
J「連絡は全然取ってない。でもつい最近さおりのミクシー見たんだよ。そしたらさ、結婚しててビックリした(笑)」
「そりゃビックリするわ(笑)
元カノのそういう話ってさ、凄い微妙な気持ちになるよね」
J「そそ、なんか絶妙な気持ちになるよな(笑)」
当時のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられるようだと言う。
Jにとっては、「思い出」ならぬ「重い出」なのかもしれない。
「でもさ、アイツが今幸せそうにしてるんだったら、それでいいよな」
そう口にするJからは、インタビューの中で一番の笑顔がこぼれていた。
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