読者投稿30代前半の男性
時は2000年、東京都渋谷区。
僕はまだ大学生で、ただ毎日が遊ぶための時間だった。
大学の授業など出たことはない。
西早稲田のキャンパスにはヒッピーのような人間がゴロゴロいて、道端で寝そべり騒いでいる人たちや、いわゆる薬の売人が普通にいて、有事立法に反対する学生運動が行われていた。
講堂の前では、和田さんが白いスーツを着てパラパラを踊っていた(わかるかな?笑)。
これが当時の渋谷の風景。
キャンパス内の通路は、大学に来て友達に会うだけの学生や、授業に出ない学生であふれ返っていた。
既にそれは、「1つのコミュニティ」と言って良かった。
大学構内に集まり、そのまま渋谷へ移動する。
JRの駅を出ると、ハチ公前やスクランブル交差点は、同世代の人間でごった返していた。
サラリーマンなんていなかった。
彼らに対しては、いわゆる「リーマン狩り」が行われるのが普通の時代だったから。
女子高生は超ミニのスカートにルーズソックスを履き、髪の毛はメッシュを入れて、みんな男子校のカバンを持っていた。
そして、彼女たちは援助交際をしていた。
男子高校生はズボンを腰履きにして、長めの髪の毛をカチューシャで持ち上げていた。
僕ら大学生といえば、その頃の直木賞を受賞した「GO」という作品に書いてあるように、石を投げれば90%の確率で当たるという。
日焼けして真っ黒な肌に長髪(ロン毛)の男たちは、毎日のように喧嘩をしていた。
かくいう僕は、アフロやスキンヘッドの期間が長かった気がする。
センター街を途中まで進むと、イラン人かスペイン人に「マリファナ、エクスタシーあるよ」と声をかけられる。
当時の相場は、それぞれ1g3,500円と8,000円だった。
渋谷にいる人間のほとんどが、薬物をどこかに隠し持っていた。
可愛い女の子とすれ違うと、ナンパをするのが義務のようなものだった。
お互いに慣れていた。
夜の繁華街は、池袋では「ナンパコロシアム」と呼ばれるように、女の子の取り合いになった。
当時の渋谷では、センター街へ飲みに行くことはなかった。
もちろん、280円居酒屋など存在しない。
でもタバコは1箱280円(笑)
大学生でも浴びるように酒を飲み、1人4,000円を支払い、それが週に3回ほどあるのが普通の日常だった。
ちなみに、景気は今と同じくらい悪かった。
たぶん内定率も、今より悪かった頃だ。
でも心配や不安に思うよりも、今を楽しく生きることのほうが大事だったのは間違いない。
女子大生は、全員がヴィトンのバケツとエピ手帳を使っていた。
黒いロングブーツの「アムラー」が氾濫していた。
ちなみに、友達と一緒にいるときに携帯電話に出るような奴は、相手にされない時代だった。
円山町のクラブでは、それぞれが自分の担当する音楽をかける。
僕はソウルだった。
当時は第5次ソウルブームであり、ハウス成熟期であり、ヒップホップ創世記だった。
そして、パーティーミュージックとしてのR&Bの地位と定番曲が、僕らの世代によって確立された時代でもあった。
ラブホテルを探しに円山町を歩いてみると、当時の宿泊料金は16,000円。
しかし、空いているホテルはほとんど無い。
1時間ほど歩いて、どうにか空室を見つけられるという有り様。
事前にナンパした、名前も年齢も知らない女の子とセックスしていた。
この生活が毎日のように繰り返され、朝になるとそのまま九十九里にサーフィンをしに行く。
そして、寝ないでバイトをして、また遊びに行く。
寝る時間は、電車と車の移動時間だけだった。
これが、2000年の渋谷の大学生の1日である。
この話はフィクションではない。
僕らはこういう時代を生きてきた。
今の渋谷にいると、当時の面影などまったく無い。
人の流れを見ていると、『なんだか外国にいたみたいだな』と当時を思い出す。
2000年の渋谷事情
人気の記事
【EGweb】の購読にはRSSとTwitterが便利です
男性向けWebマガジン【EGweb】の更新情報は、RSS・Twitterでお届けしています。
最新情報をお見逃しないよう、是非フォローして頂けると幸いです。
RSSリーダーで購読する | Follow @EGwebTV |
2.0 rating
コメントする(承認制です)